公益財団法人 腸内細菌学会/腸内細菌学会 Japan Bifidus Foundation(JBF)/Intestinal Microbiology

用語集


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エピジェネティクス(epigenetics)

「エピ」とは、ギリシャ語で「上に」あるいは「後に」という意味を表す接頭語である。すなわちエピジェネティクスは、DNA塩基配列を中心とした遺伝学である「ジェネティクス」の上をいくものとして、1940年代に提唱された造語である(後成遺伝学とも呼ばれる)。その定義は必ずしも一義的なものではないが、現在ではDNAメチル化やヒストン修飾など、DNA塩基配列変化を伴わない遺伝子発現調節機構に関する学問領域を指すことが多い。エピジェネティクスは提唱当初、発生や分化により生体が形作られていく際、塩基配列の違いで説明できない部分を補う概念的なものであった。その後実験的な証拠が集められ、エピジェネティクスの実態が、DNAを構成するシトシンのメチル化やヒストンの化学修飾(リジンメチル化・アセチル化・ユビキチン化、セリンリン酸化およびアルギニンメチル化・シトルリン化など)であることが明らかとなった。
これらの化学修飾は、遺伝子発現を正もしくは負に調節する。代表的なものとして、プロモーター領域のDNA メチル化、ヒストンH3K9およびK27のトリメチル化は遺伝子の発現抑制にはたらき、ヒストンH3K4のトリメチル化やヒストンアセチル化は遺伝子の発現促進にはたらくことが知られる。個体の発生や分化は、ゲノムDNA の配列変化ではなく、遺伝子発現の変化により引き起こされる。そのため、エピゲノム修飾の変化は、塩基配列の変化に依存しない細胞分化制御機構の説明を可能にする。すなわち体細胞中のゲノムを構成している塩基配列は(厳密にはV(D)J recombinationを行う免疫細胞を例外として)、いずれの組織を構成する細胞間でも同一であるが、エピゲノム修飾が異なるため、それぞれの組織で特異的な機能をもつ細胞が分化成熟するようになる。
エピジェネティクスは発生学を中心に発展してきた学問領域であるが、エピゲノム修飾は環境因子により影響を受け変化しうることから、近年では様々な疾患(がん、免疫・アレルギー疾患、代謝調節異常や精神疾患など)との関わりが示されている。特にがん領域においては、エピジェネティクス機構を標的とした薬剤が開発されており、DNAメチル化やヒストンアセチル化状態を変化させる低分子化合物が、実際にがんの治療薬として臨床応用されている。しかしながら、これらの低分子化合物は標的とする遺伝子に対する選択性に乏しいことから、一定の副作用が避け難い点が問題となる。まだ臨床開発段階ではないものの、CRISPRを用いた配列特異的なエピゲノム編集技術が新たに開発されており、エピジェネティクス治療への応用が期待される。
腸内細菌とエピジェネティクスの関わりとして、腸内細菌の発酵代謝産物である酪酸を介した腸管上皮細胞の機能修飾や、免疫寛容を担う大腸制御性T細胞の誘導が知られている。酪酸はヒストン脱アセチル化酵素(Histone deacetylase: HDAC)阻害作用をもち、T細胞を酪酸処理すると、制御性T細胞のマスター転写因子であるFoxp3遺伝子のプロモーター領域およびエンハンサー領域のヒストンアセチル化が亢進する。また、無菌マウスでは通常マウスと比較して大腸上皮細胞におけるDNAの高メチル化状態がみられるが、腸内細菌が定着することで、細胞分裂関連遺伝子のプロモーター領域における脱メチル化が起こり、遺伝子発現が上昇することが示されている。

(古澤之裕)